2014年8月25日月曜日

夏の終わりに。


随分と久しぶりに、このブログに投稿する。
極めてプライベートな内容ではあるけれど、必要なタイミングな気がするので書いてみる。

先日、数年ぶりに実家に戻り、数日を過ごした。
祖母にヒマゴの顔を見せてやって欲しいと理由を付けて帰省を促していたのは父だったが、
帰省する直前に受けた腸の精密検査でガンが見つかり、祖母のためというより、
彼の手術入院に立ち会う機会となった。

幼い頃、父に遊んでもらった記憶は、そう多くない。
会社組織で働くことに向いていたとは思えないが、仕事熱心で、
とにかく部下思いの人だったと、父の同僚の方から聞いたことがある。
恐らく、仕事とプライベートの切り替えが出来る器用なタイプではなかったのだろう。
退職してからも、徒歩で日本縦断をしたり、本職のように植木仕事に精を出したりと、
何かしら徹底的に取り組みたい人なのだ。
その父が、近年、もっとも熱心に向き合っているのが俳句だ。
昔から言葉にはうるさい方だったが、句を詠むようになってから一段と細かくなった。

「常に飄々としていたいが、なかなかなれないものだ」
ガンの手術を控えた父は、そう言って、一冊の本を貸してくれた。
「どうということが書かれているわけじゃないが、味わい深い」

70歳になった父が、80歳を越した俳人の本を息子に渡す意味。
そんなに深く考え込むまでもなく、ある年齢にならないと分からないものを
分からないうちに視界に入れておくべきだというメッセージと受け取った。

詳しい検査結果が出るまでには、数日を要するようだが、
とりあえず父の手術は、成功した。
飄々としていたいが、そうはなれないと言っていた彼だが、
手術室に入る前に、「五分粥の湯気に色あり今朝の秋」と、
回復してから詠むべきであろう句を作っていたと聞いた。
十分、飄々としているではないか。

さて、ボクもたった今、41回目の誕生日を迎えた。
平均寿命からすると、丁度、折り返し地点というわけだ。
四季に置きかえるなら、夏の終わり、秋の訪れだ。
死期を考えるには早過ぎるかもしれないが、
その日に備えるべく、しっかり生きる気持ちを整えるには、
良いタイミングなのかもしれないなと、この夏を振り返った次第。