2014年11月6日木曜日

伝統とは、文化とは


京都で仕事をしているので、いわゆる伝統文化と呼ばれるものについて考えることが多い。

「社会の仕組みが目まぐるしく変わる現代において、衰退の一途をたどっている」
といったお決まりのフレーズが付きまとうものが少なくなく、担い手の努力は相当のものだ。
大切な何かを失ってしまうようで、伝統が途絶えないようにと祈るばかりだが、
その伝統とは、いつ始まったもので、いま誰がそれを必要としているのか?と、
少し突き離して捉えることも必要な気がしている。

そもそも、ボクらの世代(アラフォー)が起点となる「文化」とは何に当たるのだろうか。
アニメや、マンガ、ゲームといったものになるのだろうか?
そんなことを同世代にあらたまって聞いたことはないのだけれど、
「ガンダムのプラモデル」を挙げる人は存外多いのではないだろうか。

アニメ、マンガ、ゲームといったものの影響を受けながら生きてきた自覚はあるが、
一種のメディアとして成長してしまったものに、文化的な手触りを感じることはない。

完成品としてのフィギュアが登場してもなお、未完成の状態で受け手に差し出される
プラモデルには、この先、数十年後には無くなってしまうかもしれないという
「伝統文化」的な香りがあるように思う。

空想の世界のロボットを自分の手にしてみたいという少年たちの思いに応えた
ガンダム(や派生作品)のプラモデルは、ダイキャスト製の玩具を過去のものとした。
「よりリアルに再現を」と希望する消費者に、メーカーが職人的な対応を見せて
商品力を高めていったことも、江戸時代の浮世絵がそうだったような粋を感じさせる。

「ガンプラ」が初めて世に出されたのは、1980年。
アニメ作品に登場したロボットに近づけるためには、一色成型のパーツを塗り分けて、
可動しない関節に改造を加える必要のあったプラモデルキットは、
塗装を必要としない多色成型のパーツや、自由なポージングを可能にするポリキャップなど
技術的な進化を遂げて、今日に至っている。

同じキットを、いかに他人よりカッコ良く仕上げるかといった「競い」の要素が、
工芸的な趣味(ここがゲームと違う部分だ)。と上手く融合したパターンなのだろう。
「受け手に仕上げを委ねる」といった点が、優れて文化的だと感じる次第である。

さて、問題はこの「ガンダムのプラモデル」が、伝統文化として残り続けるかということだ。
果たしてメーカーの努力だけで、「生き伸びることは出来るか?」と心配になる。
箱に、アニメ作品の画像を使うのではなく、イラストレーターを起用して、
作り手のイメージや創作意欲をかき立てる挑戦は、いつまで続けられるのだろうか。
「いま誰がそれを必要としているのか?」などと、後の人に言われるのだろうか。

聞くところによると、近年、海外のファンも増えているという。
そう言えば、ガンダムの比較的新しいシリーズは、主人公が乗るロボットのデザインを
海外の著名なデザイナーに任せるなど、外からの刺激を求めた。

「クール・ジャパン」政策に、別段ケチを付けるつもりはないが、
もし、国内で衰退、あるいは硬直し始めているものを海外に売りつけようというのであれば、
求める成果を上げることはできないだろうと思う。

良き時代を憂うのは仕方がないが、それが文化として世の中に定着するまでに、
何を駆逐し、何を変えていったかに目を向ける必要があるのではないか。
また、相手にすべきは「いまを生きる人」に他ならないのだから、
いつまでも、いなくなってしまった人たちと作った過去のスタイルにこだわらず、
たとえゆっくりであろうとも、意識的に変化を続けなければならない。

…などと、いくらもっともらしいことを論っても、
いい歳のオトナがプラモデルを作ることは、家人にとっては理解しがたいことかもしれない。
(むしろ、受け入れられないことすら文化的だと思ったりもするが)

「文化」として認められる世の中になれば、絵画と同じように高尚な趣味として映るのだろうが、
果たして、そんな時代は来るのだろうか。そして、そんな時代まで生きているのだろうか。



2014年9月3日水曜日

梨について



今年も、埼玉の叔母から梨が送られてきた。
伯父が亡くなった翌年からのことだから、もう十年以上の恒例だ。
はじめのうち、箱にぴったりと納まった22個は、少しばかり多いように感じていたが、
子供たちが包丁を使って、勝手に食べるようになってから、じっくり味わうようになった。

箱に書かれているからこそ、これが「豊水」であると思って齧っているが、
いまだに「幸水」との見分けが付かない。250~300g程度の「幸水」よりも、
「豊水」は350g~400g程度と少し大き目とされており、出荷時期も少し異なるようなので、
一緒に並んでいなければなおのこと分からない。

「幸水」や「豊水」は赤梨と言われ、「二十世紀梨」に代表される青梨と区別されることや、
産地と消費地の関係から、関東人は赤梨好み、関西人は青梨好み…だなんてことも、
今の今まで知らなかった。かつて多く作られていた「長十郎」こそかろうじて知っていたが、
「新高」、「秋月」、「新興」、「南水」、「愛宕」、「にっこり」、「新水」、「彩玉」、「奥三吉」、「かおり」
と、数多くの品種が存在していることなど、意識したことがなかった。
改良を重ねて来られた生産者の方々に、何だか申し訳ない気持ちになってしまった。
(例の船橋市の非公認キャラクターは、何という品種の梨なのだろう?)

万葉集にその名が登場するほど、梨と日本人の歴史は古く、
研究によると、弥生時代から生産されていたそうだ。
もっとも、それだけ馴染み深い果実であればこそ、わざわざそれがどんな品種かを
詳しく知っておく必要などなく、ただただ「美味い」と言えば良い話なのだろうけれども、
色味だけでなく、酸味や甘味の好み、歯ごたえや水分の好みの変化に
どういった歴史があったのだろうか?…などと、つい想像してしまう。

まあ、果実ひとつのことを知るために、ちょっとした時間をかけられるほど、
良い季節になったということで…もうひと齧りしてから寝よう。

2014年9月1日月曜日

フィールド


やはり、観るより、実際にプレイする方が好きなのだ。

ブラジルW杯の影響もあって、しばらく観る側に回ってしまっていたが、
この週末、久しぶりのフルコートのサッカーの試合に出場して、改めてそう思った。
集まったのは、ボクより年上、オーバー40のメンバーで、
対戦した相手チームは、こちらより平均年齢がさらに高かった。
日本代表がW杯に出場することなど、夢のまた夢という時代にサッカーを始めた
オジサンたちが、8月の最後の土曜日に芝の上でボールを追ったのだ。

我々の試合を眺めていたのは、地元のクラブチームの子たちと思われる
揃いのプラクティスシャツを着た小・中学生だった。彼らの目には何が映っていたのだろう?

「我々/彼ら」と、線を引くつもりはないが、サッカーを取り巻く環境は大きく変化した。
彼らは、日本代表がW杯に5大会連続で出場している時代の子たちなのだ。
我々と違って、世界のトップ選手のプレイを、テレビやネットで手軽に観ることができるのだ。
すべての子たちとは言わないまでも、日本代表や海外の有名クラブでのプレイを
「かなり具体的に」目指しているのだろう。実際、我々の試合後、グラウンドに出た
彼らの練習や、そこで見せるスキルの数々は、オジサンたちが小僧だった頃とは
比較にならないほどレベルの高いものであった。

しかし、あまり楽しそうには見えなかった。気のせいだろうか?

良くトレーニングされていることは分かったが、全員、同じようなボールタッチに見えた。
パスのタイミングや、ディフェンスの仕方にも、個性が感じられなかった。
もちろん、我々の世代が個性的なプレイをしていたなどと言うつもりはない。
良いコーチによる、良い指導を、良い態度で受けているのだろうな、と感じた。
あまり楽しそうに見えなかったのは、それがルーティンのメニューだったからかもしれないし、
あるいは、弱まってきたとはいえ、まだしっかりとした日射しのせいだったかもしれない。

彼らは、我々のような年齢になっても、同じようにサッカーを続けているだろうか?

高いレベルに到達しようという目標のある時期を過ぎて、
自分の思うようにプレイできないという幻滅や失望を経ても、
いま自分が立っているフィールドを楽しむという、
ただそれだけのモチベーションで、ボールを追うことができるのだろうか?

…まあ、そんな疑問を持ってしまうことが、歳を取るということなのだろう。
そんなことを気にしているうちは、あまり楽しめていないのだろう。

「やはり、観るより、実際にプレイする方が好きなのだ」と、
言い切れる自分でありたいものだ。

2014年8月25日月曜日

夏の終わりに。


随分と久しぶりに、このブログに投稿する。
極めてプライベートな内容ではあるけれど、必要なタイミングな気がするので書いてみる。

先日、数年ぶりに実家に戻り、数日を過ごした。
祖母にヒマゴの顔を見せてやって欲しいと理由を付けて帰省を促していたのは父だったが、
帰省する直前に受けた腸の精密検査でガンが見つかり、祖母のためというより、
彼の手術入院に立ち会う機会となった。

幼い頃、父に遊んでもらった記憶は、そう多くない。
会社組織で働くことに向いていたとは思えないが、仕事熱心で、
とにかく部下思いの人だったと、父の同僚の方から聞いたことがある。
恐らく、仕事とプライベートの切り替えが出来る器用なタイプではなかったのだろう。
退職してからも、徒歩で日本縦断をしたり、本職のように植木仕事に精を出したりと、
何かしら徹底的に取り組みたい人なのだ。
その父が、近年、もっとも熱心に向き合っているのが俳句だ。
昔から言葉にはうるさい方だったが、句を詠むようになってから一段と細かくなった。

「常に飄々としていたいが、なかなかなれないものだ」
ガンの手術を控えた父は、そう言って、一冊の本を貸してくれた。
「どうということが書かれているわけじゃないが、味わい深い」

70歳になった父が、80歳を越した俳人の本を息子に渡す意味。
そんなに深く考え込むまでもなく、ある年齢にならないと分からないものを
分からないうちに視界に入れておくべきだというメッセージと受け取った。

詳しい検査結果が出るまでには、数日を要するようだが、
とりあえず父の手術は、成功した。
飄々としていたいが、そうはなれないと言っていた彼だが、
手術室に入る前に、「五分粥の湯気に色あり今朝の秋」と、
回復してから詠むべきであろう句を作っていたと聞いた。
十分、飄々としているではないか。

さて、ボクもたった今、41回目の誕生日を迎えた。
平均寿命からすると、丁度、折り返し地点というわけだ。
四季に置きかえるなら、夏の終わり、秋の訪れだ。
死期を考えるには早過ぎるかもしれないが、
その日に備えるべく、しっかり生きる気持ちを整えるには、
良いタイミングなのかもしれないなと、この夏を振り返った次第。