「おもかげ」は、とらやの小型羊羹。
現在のパートナーと出会った頃、彼女が良く食べていた。
お茶にまつわる短編をブログにまとめてみようということになり、
当時のことを思い出して、書いてみた。
設定の部分だけ少し変えているけれど、内容そのものは実話だ。
「おもかげ」
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彼女と初めて会ったのは会議室だった。
僕は東京から異動してきたばかりの編集者で、
京都の和菓子の特集記事の原稿を、
ライターである彼女に依頼したのだった。
彼女は、名刺交換もそこそこに、ファイルからリストを取り出し、
取材対象とする店舗と、その店の名物の菓子の説明を始めた。
京都に住むライターは、京都に関する取材を受けることが多いと言いながら、
彼女が候補に挙げた菓子は、事前に僕が雑誌やネットで調べていたものと違い、
あまりメディアで取り上げられることのないものばかりであった。
「京都の方って、普段からこういったお菓子を食べているんですか?」
「そんなことないですよ、大切なお客さんが来はった時ぐらいですかねえ」
「でも、企画についてお電話したのは昨日ですよ。よくこれだけのリストを」
「東京に住んではって、いつも東京タワーに登ってました?」
「いや、田舎から出てきたばあちゃんを連れていったぐらいですねえ」
「ね、そういうものでしょ?」
万事こんな調子で、彼女はその後の仕事でも、
京都に関する豊富な知識を披露する一方、
自身の普段の暮らしぶりについては語りたがらなかった。
プライベートを明かそうとしない彼女の部屋を訪れたのは、
ある雨の強い日の午後で、「たまたま近くで取材があったもので」と、
努めて偶然を装ったのだけれど、彼女にはすべてお見通しのようだった。
「どうぞ」と、さして慌てる様子もなく招き入れた後、
彼女は、床に広げられた資料を器用に飛び越えてパソコンに向かった。
「すみません、原稿の締め切り前なもんで…あ、お茶煎れたとこなんで、適当に飲んでください」
イメージしていた京都人の部屋とかけ離れた、必要なもの以外、何も置かれていない
真っ白な空間に戸惑いながら、台所に向かうと、丸く赤味を帯びた湯呑みがあった。
「…どうも」と言って一口啜り、その味にさらに戸惑う。
「もしかして、お抹茶でも飲んでると思いました?…それ、京番茶です」
忙しくキーボードを叩く音がしたが、モニターに向かう顔は明らかに笑っていた。
「よう関東の人は、煙草が入ってるとか言わはりますけど、京都のもんが普段飲むのはそれなんです」
何となく、「関東の人」という括りに引っかかって何も答えずにいると、
「食べかけですけど、そこにある羊羹も良かったらどうぞ」と、
茶の風味から逃れようとする僕に助け舟が出た。
小さな皿の上に、「おもかげ」と書かれた箱があった。
和菓子特集で取り上げようとしたら、「それはこの企画向きじゃないですね」と、
彼女がリストから外した店のものだった。
同じ皿に置かれたぺティナイフが妙に大きく見えた。
「おかまいなしですみません…このテキスト送ったら終わりますんで…」
忙しい最中に押しかけたのは、こちらの勝手だと、
不釣り合いに大きく、鋭いナイフで羊羹を切って口に頬張る。
黒砂糖の甘味が思いのほか強いなと思いながら振り向くと、彼女がすぐそばにいた。
「ああ、そらあかんわ!」
彼女はたしなめるように押しのけ、半分ほどになってしまった「おもかげ」を
ぺティナイフで慎重に削り、シートのようになった羊羹を舌の上に乗せてみせた。
「これぐらいじっくりと味わうのが京都人です…って、私だけかも知らんけど」
と、言って、彼女はぐびぐびと僕が残した京番茶を飲み干した。
「あ、すんません…お待たせしました。で、今日は何の用事でした?」
何をしにきたのだろう?上手い答えが浮かばなかったので、
ひとまず「おもかげ」を薄く薄く切ることに集中した。
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