2012年10月26日金曜日

機能と遊び

某工房の「灰皿」の試作品。

実に面白いと思うも、スモーカー目線で改良すべき点を述べる。
でも、言えば言うほど、造形の面白さが無くなっていくような気がして迷う。
機能と遊びの間にある着地点を探りたい…のだけれど、
作家さん、モチベーションを持続してくれるかしら。

2012年10月25日木曜日

そばは「宝」


応仁の乱の前年、1465年に創業したという
和菓子、蕎麦の老舗、「本家尾張屋」本店。
のれんにある「御用蕎麦司(ごようそばつかさ)」の文字は、
江戸時代、宮内庁御用達の蕎麦職人であったを示すもの。

とある媒体の取材中、ふと気になったのは、
中央の「寶(たから)」の一文字。

インタビュー後、ご当主にうかがうと、
室町の頃、金銀細工師が作業後、散らばった金粉銀粉を集めるために
そば粉の団子を使ったことから、いつの間にかそばが
「金を集める縁起物」とされるようになり、「宝」を屋号と定めたのだとか。
なるほど、縁起をかつぐ年越しそばの由来の一説にも同じことが挙げられている。

元は「そば団子」を作る和菓子職人だった尾張屋さんは、
茶文化を広げることとなった禅寺に出入りするうちに、
腹もちの良いものを所望されるようになり「そば打ち」を始めたのだとか。
粉をふるい、生地を伸ばし、均等に切り分けるといった技と道具を
そのまま、そば作りに活かすことができたのだ。

京都が職人と寺の町であることを改めて知った一日であった。

2012年10月21日日曜日

北野大闘茶会

北野天満宮で開かれた「第四回 北野大闘茶会」に参加した。


チラシには、「闘茶とは、5種類の茶を当てる…上品な遊び」と書かれているが
元々は、栄西禅師から明恵上人に受け継がれた京都栂尾一帯の茶、
「本茶」と、それ以外の「非茶」を飲み分けるもので、産地のプライドをかけた
文字通りの「闘茶」だったとか。やがて、「かぶく(遊ぶ)」という風俗が、
歌舞伎芝居の名を生み、「茶歌舞伎(ちゃかぶき)」と呼ばれるようになり、
現在では、「茶香服」という文字が当てられる「5種類のお茶を当てる娯楽遊戯」と
して変化していったと言われている。


北野天満宮は、かつて太閤・秀吉が「北野大茶会(きたのだいさのえ)」を
開いた場所でもあり、主祭神である菅原道真公も、太宰府の地で
茶を飲みながら流罪の身に憤懣やるかたない日々を過ごしている歌を詠むなど、
京都で茶のイベントを開くには申し分ない場所ということで、
京都市茶業組合さんがこの地を選んだとのこと。

さて、その「闘茶」、「茶香服」で当てるのは、緑茶の種類である。
その流れは、以下の通り。

① 「花」「鳥」「風」「月」「客」と書かれた5種類の茶の葉を確かめる
(実際に浸出した茶は飲めない。ただ、見て、触って、嗅ぐだけ)
② 1回目は、順不同に出される「花」「鳥」「風」「月」「客」の5煎の茶を飲み、これと思う札を出す。
  (途中で差し替えることはできない)
③ 2回目以降は、同じく順番を変えて出される4煎の茶を当てる。
  (4煎まで予想することは、出てきていないもう1煎を当てることになるので)
④ 全部で4回、都合17杯のお茶を飲み、(出てこない3煎を含む)全20煎の正答率を競う。

参加者は、茶業に携わる言わばプロから、観光を兼ねて遠方より来られた方、
さらには「茶香服」の存在を知り、はるばる中国からやってきた中学生まで
バラエティに富んだ約100名。会場となった絵馬所は、茶を入れる音と、茶をすする音、
そして、時折、回答に悩んだ参加者のうめき声が聞こえる程度の静けさ。



ボクの成績は、

1回目 1/5 (玉露しか分からなかった)
2回目 3/5 (煎茶と柳を間違えた)
3回目 3/5 (玉露と煎茶を間違えた)
4回目 0/5 (全滅…玉露と柳を間違えた)

始めはわけがわからず、終わりは味がわからずで、
合計、「5/20」という散々な結果。
うーん、悔しい。でも、なるほど遊びとして流行したのも納得。

かつては、緑茶の違いが分かる人々のものだったわけだが、
「玉露」「煎茶」「柳」といった緑茶の種類すら知らない人にとっても
興味深いゲームになるだろうなと、初めての体験を今後につなげようと思った次第。
いや、それにしても悔しい。