2013年6月23日日曜日

京都府庁旧本館


(京都府ホームページより)
京都府庁旧本館は、明治37年(1904)12月20日に竣工しました。昭和46年まで京都府庁の本館として、また、現在も執務室や会議室として使用されており、創建時の姿をとどめる現役の官公庁建物としては日本最古のものです。
 平成16年(2004年)12月10日に国の重要文化財に指定されました。 ルネサンス様式に属する建物の外観は、正面の一段高くなった屋根を中心に左右両翼に対称に張り出した形となっており、西洋近世の大邸館をほうふつとさせるものがあります。建物内部には和風の優れた技術が巧みに取り入れられており、内部意匠は建築よりも、むしろ工芸品といった趣さえ感じられます。
 これまでに、府庁界わいの文化施設や史蹟などをまとめた「府庁界わい歴史散策マップ」の作成や府庁旧本館を活用した「京都こだわりマルシェ」などを実施しています。


…最後の一文、「建築よりも、むしろ工芸品といった趣さえ感じられます」というところが、いかにも京都らしい。

(同ページより)

「府庁旧本館利活用応援ネット」は、京都府庁旧本館の利活用や整備修復に関心を持つ個人・団体や京都府関係者が、施設にふさわしい利活用・整備のあり方に関する意見交換や具体的な利活用の実証等を行う「場(プラットフォーム)」をつくり、そこから今後の利活用に向けた課題の解決や新たな協働につなげていくことを目指し、平成20年9月に発足しました。

「大好きな京都府庁旧本館をマルシェ(市場)に見立てて、人を集めたい」という雑貨屋さんと、

「京都府の食について、生産者・消費者・研究者・近所のお母さん・子供か大人まで、あらゆる年代やジャンルの方が楽しみながら、知り・学び・考える一日にしたい」という大学の先生が
中心メンバーとなって始めたという「京都こだわりマルシェ」。

回を重ねるごとに、食とは直接的に関係のない人が集まるようになり、

まさに「マルシェ(市場)」に成りつつある…整ったイベントでないからこそ面白い。
そこに何かがあるかもなあと感じて、前回から参加してみることにしたわけですが、
さて、今回はどうなることやら。

とにかく雨が降らなくて良かったなあと。楽しんで来ます。

2013年6月21日金曜日

ぎぼし最中


ぎぼし最中は、河原町松原にある「幸福堂」さんの定番商品。
「ごじょう」と書かれている通り、この最中は、弁慶と牛若丸で有名な
五条大橋の擬宝珠(ぎぼし)を模したものである。
元々、五条大橋は、豊臣秀吉の区画整備によって現在の位置に移るまで、
一本北の松原通にあったのだから、この通りに面した幸福堂さんが、
「ごじょうぎぼし最中本舗」の看板を掲げるのは納得だ。

ところで、「擬宝珠」の起源にはふたつの説がある。
一つは、仏教における宝珠から来ているというもの。
宝珠は釈迦の骨壺(舎利壺)の形とも、龍神の頭の中から出てきたという珠のこととも言われ、
地蔵菩薩などの仏像が手のひらに乗せているものである。
この宝珠を模した形から模擬の宝珠という意味で「擬宝珠」とつけられたというもの。
まあ、こちらの方が素直な説だと思う。

もう一つは、ネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、
その力にあやかって使われるようになったとする説。
擬宝珠という用字は、葱帽子、葱坊主に後から付けられた当て字であるとするもの。
確かに、こちらだと橋や神社など仏教建築以外でも使われることの説明にもなるが、
個人的にちょっと無理があるような気がしなくもないが、京都ではこちらの説が取られるようだ。

京都では「仏教起源」ではなく、「葱起源」が有力であるとされるのは、
こんなエピソードが残っているからかもしれない。

明治維新になって廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が叫ばれ、明治11年(1878年)に京都府知事・槙村正直(まきむらまさなお)は五条大橋の擬宝珠を全部取り外してしまいました。それから2年後、明治天皇が全国巡行の途中京都に来られ、五条大橋をお渡りになりました。見渡されると擬宝珠がありません。天皇は、「あの擬宝珠はどうした!」とお尋ねになりました。槙村は恐れ入って擬宝珠を元に戻したということです。槙村はもと長洲藩の下級武士。擬宝珠が仏教由来のものではなく、ネギの花の霊力をシンボライズしたものだということを知らなかったのでしょう。明治天皇の一喝によって、五条橋の擬宝珠はよみがえりました。 
(引用:「五条大橋の擬宝珠」)

あくまで「擬」であって、五重塔や五輪塔などの仏塔の先端にある「宝珠」と分けているのだから、
そもそも廃仏毀釈の対象外だったような気もするけれど、味わい深い話だと思う。
幸福堂さんの創業は明治元年だから、この話を踏まえた上で菓子であることは間違いない。


幸福堂さんの「ぎぼし最中」には、二種類ある。
左が「弁慶」、右が「牛若丸」だが、ご覧の通り、違いは餡の量。
かつて「牛若丸」に切りかかった「弁慶」の方が切れているのが面白い。
なかなかにインパクトのあるお菓子である。

「擬宝珠」が五条大橋に使われたのは、秀吉が天正年間に行った区画整備の頃だというから、
弁慶と牛若丸が争った五条大橋に「ぎぼしはなかった」はずだ…なんて野暮なことは言わない。

水無月


一日中、雨が降っていたので「水無月」の話。


日本では、旧暦の6月を水無月(みなづき)と呼び、

新暦となった現代でも別名としても用いる。

水無月の由来には諸説ある。


①梅雨が明けて水が涸れてなくなる月であるという説。

②田んぼに水を張る月「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」であるという説。
③田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」であるとする説。
④水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり「水の月」であるとする説。

と、いろいろあるが、要は6月とは「水」と関連の深い月なのだ。

その水無月の終わり、6月30日は、一年、上半期の最終日に当たる。
一年間の穢れを祓う大晦日の大祓に対して、上半期の祓を
「夏越の祓(なごしのはらえ)」、または、「水無月の祓」ともいう。



神社ではこの日の参詣人に茅の輪を鳥居に取り付けてくぐらせ、

夏の疫病、水の災厄を除くために禊を行い(茅の輪くぐりの話は、またの機会に)
一方、菓子屋は祓いの菓子として「水無月」を売るのが京都。

白の外郎生地に小豆をのせて、三角形に切る「水無月」。

水無月の上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、
三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれている。

旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、

室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていたとか。
御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払っていたそうな。

「氷室」は、冬の氷を夏まで保存する貯蔵庫で、京都の北山には「氷室」という地あり、

今でもその氷室の跡が残っている。かつては、北山の氷室から宮中に氷が献上されたと
『延喜式』に記され、宮中では氷室の氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったとも。

当時は氷室の氷を口にすると夏痩せしないと信じられていたものの、

庶民にとって、夏の水はとても貴重で、ましてや氷など簡単に食べられるものではなく、
宮中の貴族にならって氷をかたどった菓子が作られるようになったのが始まりだとか。

氷を模したという説は非常に魅力的だけれど、

一年の折り返しに、四角を半分に割った三角形を食べるっていうのが、
何だかいいなと。個人的には小豆のお菓子は苦手なのですが、
この時期ばかりは食べようかと思っております。

2013年6月18日火曜日

牛乳石鹸のれん


風呂の給湯器の調子が悪く、銭湯に行った。


家族で行くのは初めてのことだったけれど、

予想通り、嫁さんと娘が上がってくるのを待つことになった。
そろそろ時期かしらと、表を流れる高瀬川で蛍を探すも、見つからない。
仕方なく、息子をふたりでぼんやりと湯のれんを眺めることに。

「…なんで牛乳石鹸って書いてるん?」と息子に聞かれ、

小さい頃に、同じ質問を父親にしたことを思い出した。
「あれは石鹸会社の広告だ」と、父はボクに教えてくれたが、
それだけでは、主にボディソープを使うボクの息子には、いまいちピンと来ない。
確かに内風呂の普及率が高くなった現代において、
湯のれんにさほどの宣伝効果があるとは思えない…なんてことを思いつつ、
帰ってからメーカーのホームページを調べてみた。

http://www.cow-soap.co.jp/web/event/noren-history/


以下は、牛乳石鹸さんのページの「のれんの歴史」からの引用。


のれんは、はじめは日よけのためや塵よけのために用いられていましたが、

寛永(1642-1644年)頃から屋号や商標を染め抜き、看板や広告の目的に使われ現在に至っています。
当社が制作を始めた昭和30年頃は、町中で一番人の集まる社交場といえばお風呂やさんでした。
そこは情報交換の場であり、コミュニティ広場でもあり、そこに当社ののれんを掛けていただくことで
当時の宣伝媒体としては抜群の効果を発揮しました。
当時ののれんは「ゆ」の一文字をメインに2~3色の染め物でしたが、
現在では太陽光線にも強いインクの開発と多色刷りにより、アート的要素を高めたデザインも可能になりました。

なるほど、そうだろうなと読み進めて、次の部分で驚いた。


地域によって気質、風土がちがうように「のれん」のサイズも様々です。

当社では近年、「北海道型」「東京型」「大阪型」「京都型」、そして郊外型銭湯向けには
小型の「カウンター型」と5種類のサイズを製作しています。
北海道型は大阪型に比べて約半分の大きさで、京都型、カウンター型は男湯と女湯に分かれていて、
切れ目はまん中に1つです。また、東京型は温泉シンボルのはいったものが多く、丈の短い横長タイプです。
これは手でさっとはねあげるのを粋とする江戸っ子の美意識から生まれたようです。

ほほう!と、新たな発見に興奮を覚え、他のサイトで

関東風の「共チチ付仕立」や、関西風の「袋仕立て」といった用語まで知ったのだが、
息子の質問に何か冴えた回答ができるようになったわけではない。
まあ、この銭湯の湯のれんが、2008年デザインの京都型で、
袋仕立てであると知っただけで良しとする。

2013年6月16日日曜日

梅ジュース


最近、親しくさせていただいている京佃煮の「津乃吉」さんに、
梅ジュースのレシピを教えていただいたので、作ってみた。

津乃吉さんの梅ジュースは、青梅ではなく、梅酒に使った梅を使う。
(丁度、一年前に漬けた梅酒が二瓶あったので、片方を空けた)
青梅(あるいはそれを冷凍したもの)を使ってジュースを作ったことがないので、
味の明確な違いは分からないけれど、レモンの皮を刻み、汁を加えることで、
梅酒や、一般的な梅ジュースとは違った爽やかな飲み物になることは間違いない。

何より良いのが、素材をあますところなく使うという「津乃吉」さんの発想と、
レシピを惜しみなく公開するという心意気。
(是非、直接お店を知っていただきたいので、ここにレシピは書きませんw)

梅が入手できるのは、5月中旬から6月下旬と限られているし、
駆け込みで今年も漬けようかなあと。



2013年6月15日土曜日

国産ガスライター


ライターはプリンスのドルフィンを使い続けていたのだけれど、
ここ数日、どうも調子が悪く、分解掃除をしても原因が分からないので、
メーカーに修理を頼むことにした。

百円ライターを使うのは嫌だなあと、暫定的な禁煙に入ると決めて、

部屋の片付けをしていると、サロメのライターが出てきた。
買った直後に、クローゼットの奥にしまったのを忘れていたのだ。
どうして放置していたのか理解に苦しむほど、改めて良い品だと感じるのは、
「暫定的な禁煙」が、思いの外、早く解除されることになったから…ではないと信じよう。

サロメもプリンスと同じく、国産のガスライターだ。
米国産のオイルライターが嫌いなわけではないけれど、
あのシンプルさを追求したプロダクトとは違う、ちょっとした遊び心が良い。
(サロメの創設者、瀬川國治郎氏は、玩具製品用の板金加工を請け負うプレス職人だった)

日本のプロダクトデザインをイマイチと感じる向きがあるけれど、

グッとくるデザインは、あるモノに夢中になった職人の遊び心と、
それを残そうというメーカーの思い、そして何よりそのプロダクトを使うユーザーが、
心意気を感じなければ、成り立つものではない。

「職人による手作り」を謳うサロメも、近年、部品の製造は中国に任せて、

組み立てを国内で行っているという話も聞く。
イマドキの発想ではないかもしれないけれど、せめてライターぐらいは、
グッとくるデザインを守り続けたい…という理由で、禁煙を棚上げしていこうと思う次第。



こちらはプリンスのドルフィン。工場から帰ってきたら、サロメと二丁使いか?



2013年6月7日金曜日

茶さじ



日本茶が、珈琲や紅茶のように比べると「難しい」と感じるのは、
煎れる人によって、味のバラつきが大きいからだと思う。

例えば、煎茶や玉露のどんなに良い茶葉を使っても、「さじ加減」で、
茶の良さを引きだすことが出来ないなんてことはザラにある。
逆にさほど質の良くない茶葉でも、上手に煎れたら美味しくなる、
ということでもあるのだけれど、なかなか試してみようなんて思われない。
その問題を引き起こしている原因のひとつとなっているのが、
茶さじなのかもしれない。

茶さじは、ティースプーンなどのように計量する役割を持っていない。

料理に使われるさじには、大匙・小匙・茶さじの三本セットなどがあり、
それぞれ、15ml、5ml、2.5mlとサイズが決められている。
一方、宇治茶を販売店は、計量せずにはいられない(煎れられない)消費者向けに、
一人当たりの分量をグラム数(例えば2gとか)で案内している。
茶葉は、より方によって体積が大きく変わるので、
分量はあくまで目方で決めなければならない…なんてことまでは、なかなか伝わらない。

「茶さじなんていらない、茶筒の外筒を使えば良い」というお茶屋さんもいる。
煎茶道では、茶合と呼ばれる器を使って、茶葉を壊さないようにするぐらだから、
スプーンのようにかきだすものは不要なのだ(茶筒に入れっぱなしにするものではない)。
茶さじはあくまで、茶葉を壊さず、急須に移すモノとしてある…というわけだ。

お茶の普及には、茶さじへの理解がポイントとなる気がするのだけれど、
どうも、その辺りをくわしく言及する人がいないような…

「この質の茶葉なら、急須にこれぐらいだろう」
と、結局のところ慣れていくことが求められるなら、
続けて使えるええ感じの茶さじを持つべきかと思いながらも、
ひとまずこの槌目の茶さじを使っているわけですが、さてどうなることやら。