ぎぼし最中は、河原町松原にある「幸福堂」さんの定番商品。
「ごじょう」と書かれている通り、この最中は、弁慶と牛若丸で有名な
五条大橋の擬宝珠(ぎぼし)を模したものである。
元々、五条大橋は、豊臣秀吉の区画整備によって現在の位置に移るまで、
一本北の松原通にあったのだから、この通りに面した幸福堂さんが、
「ごじょうぎぼし最中本舗」の看板を掲げるのは納得だ。
ところで、「擬宝珠」の起源にはふたつの説がある。
一つは、仏教における宝珠から来ているというもの。
宝珠は釈迦の骨壺(舎利壺)の形とも、龍神の頭の中から出てきたという珠のこととも言われ、
地蔵菩薩などの仏像が手のひらに乗せているものである。
この宝珠を模した形から模擬の宝珠という意味で「擬宝珠」とつけられたというもの。
…まあ、こちらの方が素直な説だと思う。
もう一つは、ネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、
その力にあやかって使われるようになったとする説。
擬宝珠という用字は、葱帽子、葱坊主に後から付けられた当て字であるとするもの。
確かに、こちらだと橋や神社など仏教建築以外でも使われることの説明にもなるが、
個人的にちょっと無理があるような気がしなくもないが、京都ではこちらの説が取られるようだ。
京都では「仏教起源」ではなく、「葱起源」が有力であるとされるのは、
こんなエピソードが残っているからかもしれない。
明治維新になって廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が叫ばれ、明治11年(1878年)に京都府知事・槙村正直(まきむらまさなお)は五条大橋の擬宝珠を全部取り外してしまいました。それから2年後、明治天皇が全国巡行の途中京都に来られ、五条大橋をお渡りになりました。見渡されると擬宝珠がありません。天皇は、「あの擬宝珠はどうした!」とお尋ねになりました。槙村は恐れ入って擬宝珠を元に戻したということです。槙村はもと長洲藩の下級武士。擬宝珠が仏教由来のものではなく、ネギの花の霊力をシンボライズしたものだということを知らなかったのでしょう。明治天皇の一喝によって、五条橋の擬宝珠はよみがえりました。
あくまで「擬」であって、五重塔や五輪塔などの仏塔の先端にある「宝珠」と分けているのだから、
そもそも廃仏毀釈の対象外だったような気もするけれど、味わい深い話だと思う。
幸福堂さんの創業は明治元年だから、この話を踏まえた上で菓子であることは間違いない。
幸福堂さんの「ぎぼし最中」には、二種類ある。
左が「弁慶」、右が「牛若丸」だが、ご覧の通り、違いは餡の量。
かつて「牛若丸」に切りかかった「弁慶」の方が切れているのが面白い。
なかなかにインパクトのあるお菓子である。
「擬宝珠」が五条大橋に使われたのは、秀吉が天正年間に行った区画整備の頃だというから、
弁慶と牛若丸が争った五条大橋に「ぎぼしはなかった」はずだ…なんて野暮なことは言わない。


0 件のコメント:
コメントを投稿