2013年3月22日金曜日

玉露への興味

玉露に興味を持つきっかけとなったのは、
茶業組合が粗品として作ったと思われる、一枚の手ぬぐいです。

そこに書かれた夏目漱石の『草枕』の一節が、何とも味わい深い。

濃くあまく、湯加減ゆかげんに出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落してあじわって見るのは、

閑人適意かんじんてきい韻事いんじである。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。
舌頭ぜっとうへぽたりとせて、清いものが四方へ散れば咽喉のどくだるべき液はほとんどない。
ただ馥郁ふくいくたるにおいが食道から胃のなかへみ渡るのみである。歯を用いるはいやしい。
水はあまりに軽い。玉露ぎょくろに至ってはこまやかなる事、淡水たんすいきょうを脱して、
あごを疲らすほどのかたさを知らず。結構な飲料である。
眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。

胃弱と言われた漱石が、日本茶の中でも、とりわけ玉露を愛してやまなかったことは、
このシーンの描写から十分に伝わってきます。「眠らぬも、茶を用いよ」ですから。

一方、抹茶に関しては、作法に寄った茶道、茶人を皮肉っており、
ひたすら「味わうこと」に重きを置いていたことが分かります。

特に注目したいのは、
閑人適意の韻事(暇な人が気ままにする風流な事)」という表現です。

漱石が『草枕』を発表したのは、日露戦争の翌年、1906年。
西洋を追った近代化、戦争への道へと進む日本が、
東洋的な文化や思想を軽視する向きを憂いた作品です。
江戸時代の後期から、明治の初期にかけて生みだされ、磨かれた「玉露」は、
近世文人がリードした煎茶趣味の中で、確固たる地位を築いていました。
漱石が日本人に何らかのメッセージを伝えようと、
作品の中に「玉露」を持ち出したことは想像に難くありません。

「暇」と「風流」は、姿やかたちを変えて、
今日の日本にも存在していると思います。
かつては限られた人たちのものであった「茶」も、
ごく一般的なものとして生活に取りこまれているのだと思います。
しかし、個人的には、どうもしっくり来ません。
「閑人適意の韻事」としての「玉露」に興味を持つのは、
しっくりとくる何かに出会えるかもしれないという期待からです。
漱石のように、ことさら憂いていることがあるわけではありません。

「ただただ味わう」…まずはそこから始めてみたいと思います。

2013年3月10日日曜日

京都こだわりマルシェ

「食べるを知り、学び、考える一日」
というコンセプトを掲げ、京都府庁旧本館(国の重要文化財)で
定期開催されている「京都こだわりマルシェ」という食のイベントに
「山本園茶舗」のサポーターとして参加しました。
 
マルシェとは、フランス語で“市”のこと。
商品の売り買いだけでなく、
生産者・消費者・研究者・近所のお母さん・子供から大人まで、
あらゆる年代やジャンルの方が楽しみながら
「食」についてお互いが、知り・学び・考える一日にしたい
との思いからこの名をつけました。

そんな実行委員会の趣旨にのっとって企画したのが、
「茶香服(ちゃかぶき)体験」。
玉露、雁ヶ音、煎茶、京やなぎの四種類のお茶を
順に説明しながら、まず一度飲んでいただき、
次に同じ四種のお茶を順番を替えて、提供し、
どのお茶かを当てていただくという体験版。

挑戦していただいたのは、ミドルの御夫婦、
小学校低学年の御兄弟と、そのおばあさま、
部活で茶道部に所属しているという中学生女子などなど
様々な方に関心を持っていただくことができました。
どの方も、ちょっとしたゲーム感覚で試されたでしょうに、、
間違えたことを悔しそうにしながらお帰りになるのが印象的でした。

雨が降り、時折、強い風が吹いたりとあいにくの天候だったためか、
イベント来場者はいつもより少なかった模様。
でも、まあ初めての参画にしては上々の出来だったかと。
今後、出展することがあれば、また企画してみたいと思った次第です。

2013年3月7日木曜日

錫の茶入れ

茶師から錫の茶入れをいただいた。
表面こそ酸化変色して、いかにも古いもののように見えるが、
蓋も含めて内側は艶やかな錫の色のまま。
早速、別の茶筒に入れていたちょっとええ煎茶を移し替えた。

錫は耐蝕性に優れ、軟らかく加工もしやすかったことから、
世界各国で古くから食器に使われていたそうだが、
日本には原材料となるスズ石があまり産出されないこともあり、
錫単体の加工品は、奈良時代の後期、1191年に栄西禅師が、
茶とともに持ち帰った茶壷、茶托が、その始まりだと言われている。

煎茶道は、大陸の喫茶文化の流れをくんでいることもあって、
茶器の佇まいもどこかしら中国的。ルーツを感じさせるって良いものですなあ。