2013年6月23日日曜日

京都府庁旧本館


(京都府ホームページより)
京都府庁旧本館は、明治37年(1904)12月20日に竣工しました。昭和46年まで京都府庁の本館として、また、現在も執務室や会議室として使用されており、創建時の姿をとどめる現役の官公庁建物としては日本最古のものです。
 平成16年(2004年)12月10日に国の重要文化財に指定されました。 ルネサンス様式に属する建物の外観は、正面の一段高くなった屋根を中心に左右両翼に対称に張り出した形となっており、西洋近世の大邸館をほうふつとさせるものがあります。建物内部には和風の優れた技術が巧みに取り入れられており、内部意匠は建築よりも、むしろ工芸品といった趣さえ感じられます。
 これまでに、府庁界わいの文化施設や史蹟などをまとめた「府庁界わい歴史散策マップ」の作成や府庁旧本館を活用した「京都こだわりマルシェ」などを実施しています。


…最後の一文、「建築よりも、むしろ工芸品といった趣さえ感じられます」というところが、いかにも京都らしい。

(同ページより)

「府庁旧本館利活用応援ネット」は、京都府庁旧本館の利活用や整備修復に関心を持つ個人・団体や京都府関係者が、施設にふさわしい利活用・整備のあり方に関する意見交換や具体的な利活用の実証等を行う「場(プラットフォーム)」をつくり、そこから今後の利活用に向けた課題の解決や新たな協働につなげていくことを目指し、平成20年9月に発足しました。

「大好きな京都府庁旧本館をマルシェ(市場)に見立てて、人を集めたい」という雑貨屋さんと、

「京都府の食について、生産者・消費者・研究者・近所のお母さん・子供か大人まで、あらゆる年代やジャンルの方が楽しみながら、知り・学び・考える一日にしたい」という大学の先生が
中心メンバーとなって始めたという「京都こだわりマルシェ」。

回を重ねるごとに、食とは直接的に関係のない人が集まるようになり、

まさに「マルシェ(市場)」に成りつつある…整ったイベントでないからこそ面白い。
そこに何かがあるかもなあと感じて、前回から参加してみることにしたわけですが、
さて、今回はどうなることやら。

とにかく雨が降らなくて良かったなあと。楽しんで来ます。

2013年6月21日金曜日

ぎぼし最中


ぎぼし最中は、河原町松原にある「幸福堂」さんの定番商品。
「ごじょう」と書かれている通り、この最中は、弁慶と牛若丸で有名な
五条大橋の擬宝珠(ぎぼし)を模したものである。
元々、五条大橋は、豊臣秀吉の区画整備によって現在の位置に移るまで、
一本北の松原通にあったのだから、この通りに面した幸福堂さんが、
「ごじょうぎぼし最中本舗」の看板を掲げるのは納得だ。

ところで、「擬宝珠」の起源にはふたつの説がある。
一つは、仏教における宝珠から来ているというもの。
宝珠は釈迦の骨壺(舎利壺)の形とも、龍神の頭の中から出てきたという珠のこととも言われ、
地蔵菩薩などの仏像が手のひらに乗せているものである。
この宝珠を模した形から模擬の宝珠という意味で「擬宝珠」とつけられたというもの。
まあ、こちらの方が素直な説だと思う。

もう一つは、ネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、
その力にあやかって使われるようになったとする説。
擬宝珠という用字は、葱帽子、葱坊主に後から付けられた当て字であるとするもの。
確かに、こちらだと橋や神社など仏教建築以外でも使われることの説明にもなるが、
個人的にちょっと無理があるような気がしなくもないが、京都ではこちらの説が取られるようだ。

京都では「仏教起源」ではなく、「葱起源」が有力であるとされるのは、
こんなエピソードが残っているからかもしれない。

明治維新になって廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が叫ばれ、明治11年(1878年)に京都府知事・槙村正直(まきむらまさなお)は五条大橋の擬宝珠を全部取り外してしまいました。それから2年後、明治天皇が全国巡行の途中京都に来られ、五条大橋をお渡りになりました。見渡されると擬宝珠がありません。天皇は、「あの擬宝珠はどうした!」とお尋ねになりました。槙村は恐れ入って擬宝珠を元に戻したということです。槙村はもと長洲藩の下級武士。擬宝珠が仏教由来のものではなく、ネギの花の霊力をシンボライズしたものだということを知らなかったのでしょう。明治天皇の一喝によって、五条橋の擬宝珠はよみがえりました。 
(引用:「五条大橋の擬宝珠」)

あくまで「擬」であって、五重塔や五輪塔などの仏塔の先端にある「宝珠」と分けているのだから、
そもそも廃仏毀釈の対象外だったような気もするけれど、味わい深い話だと思う。
幸福堂さんの創業は明治元年だから、この話を踏まえた上で菓子であることは間違いない。


幸福堂さんの「ぎぼし最中」には、二種類ある。
左が「弁慶」、右が「牛若丸」だが、ご覧の通り、違いは餡の量。
かつて「牛若丸」に切りかかった「弁慶」の方が切れているのが面白い。
なかなかにインパクトのあるお菓子である。

「擬宝珠」が五条大橋に使われたのは、秀吉が天正年間に行った区画整備の頃だというから、
弁慶と牛若丸が争った五条大橋に「ぎぼしはなかった」はずだ…なんて野暮なことは言わない。

水無月


一日中、雨が降っていたので「水無月」の話。


日本では、旧暦の6月を水無月(みなづき)と呼び、

新暦となった現代でも別名としても用いる。

水無月の由来には諸説ある。


①梅雨が明けて水が涸れてなくなる月であるという説。

②田んぼに水を張る月「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」であるという説。
③田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」であるとする説。
④水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり「水の月」であるとする説。

と、いろいろあるが、要は6月とは「水」と関連の深い月なのだ。

その水無月の終わり、6月30日は、一年、上半期の最終日に当たる。
一年間の穢れを祓う大晦日の大祓に対して、上半期の祓を
「夏越の祓(なごしのはらえ)」、または、「水無月の祓」ともいう。



神社ではこの日の参詣人に茅の輪を鳥居に取り付けてくぐらせ、

夏の疫病、水の災厄を除くために禊を行い(茅の輪くぐりの話は、またの機会に)
一方、菓子屋は祓いの菓子として「水無月」を売るのが京都。

白の外郎生地に小豆をのせて、三角形に切る「水無月」。

水無月の上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、
三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれている。

旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、

室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていたとか。
御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払っていたそうな。

「氷室」は、冬の氷を夏まで保存する貯蔵庫で、京都の北山には「氷室」という地あり、

今でもその氷室の跡が残っている。かつては、北山の氷室から宮中に氷が献上されたと
『延喜式』に記され、宮中では氷室の氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったとも。

当時は氷室の氷を口にすると夏痩せしないと信じられていたものの、

庶民にとって、夏の水はとても貴重で、ましてや氷など簡単に食べられるものではなく、
宮中の貴族にならって氷をかたどった菓子が作られるようになったのが始まりだとか。

氷を模したという説は非常に魅力的だけれど、

一年の折り返しに、四角を半分に割った三角形を食べるっていうのが、
何だかいいなと。個人的には小豆のお菓子は苦手なのですが、
この時期ばかりは食べようかと思っております。

2013年6月18日火曜日

牛乳石鹸のれん


風呂の給湯器の調子が悪く、銭湯に行った。


家族で行くのは初めてのことだったけれど、

予想通り、嫁さんと娘が上がってくるのを待つことになった。
そろそろ時期かしらと、表を流れる高瀬川で蛍を探すも、見つからない。
仕方なく、息子をふたりでぼんやりと湯のれんを眺めることに。

「…なんで牛乳石鹸って書いてるん?」と息子に聞かれ、

小さい頃に、同じ質問を父親にしたことを思い出した。
「あれは石鹸会社の広告だ」と、父はボクに教えてくれたが、
それだけでは、主にボディソープを使うボクの息子には、いまいちピンと来ない。
確かに内風呂の普及率が高くなった現代において、
湯のれんにさほどの宣伝効果があるとは思えない…なんてことを思いつつ、
帰ってからメーカーのホームページを調べてみた。

http://www.cow-soap.co.jp/web/event/noren-history/


以下は、牛乳石鹸さんのページの「のれんの歴史」からの引用。


のれんは、はじめは日よけのためや塵よけのために用いられていましたが、

寛永(1642-1644年)頃から屋号や商標を染め抜き、看板や広告の目的に使われ現在に至っています。
当社が制作を始めた昭和30年頃は、町中で一番人の集まる社交場といえばお風呂やさんでした。
そこは情報交換の場であり、コミュニティ広場でもあり、そこに当社ののれんを掛けていただくことで
当時の宣伝媒体としては抜群の効果を発揮しました。
当時ののれんは「ゆ」の一文字をメインに2~3色の染め物でしたが、
現在では太陽光線にも強いインクの開発と多色刷りにより、アート的要素を高めたデザインも可能になりました。

なるほど、そうだろうなと読み進めて、次の部分で驚いた。


地域によって気質、風土がちがうように「のれん」のサイズも様々です。

当社では近年、「北海道型」「東京型」「大阪型」「京都型」、そして郊外型銭湯向けには
小型の「カウンター型」と5種類のサイズを製作しています。
北海道型は大阪型に比べて約半分の大きさで、京都型、カウンター型は男湯と女湯に分かれていて、
切れ目はまん中に1つです。また、東京型は温泉シンボルのはいったものが多く、丈の短い横長タイプです。
これは手でさっとはねあげるのを粋とする江戸っ子の美意識から生まれたようです。

ほほう!と、新たな発見に興奮を覚え、他のサイトで

関東風の「共チチ付仕立」や、関西風の「袋仕立て」といった用語まで知ったのだが、
息子の質問に何か冴えた回答ができるようになったわけではない。
まあ、この銭湯の湯のれんが、2008年デザインの京都型で、
袋仕立てであると知っただけで良しとする。

2013年6月16日日曜日

梅ジュース


最近、親しくさせていただいている京佃煮の「津乃吉」さんに、
梅ジュースのレシピを教えていただいたので、作ってみた。

津乃吉さんの梅ジュースは、青梅ではなく、梅酒に使った梅を使う。
(丁度、一年前に漬けた梅酒が二瓶あったので、片方を空けた)
青梅(あるいはそれを冷凍したもの)を使ってジュースを作ったことがないので、
味の明確な違いは分からないけれど、レモンの皮を刻み、汁を加えることで、
梅酒や、一般的な梅ジュースとは違った爽やかな飲み物になることは間違いない。

何より良いのが、素材をあますところなく使うという「津乃吉」さんの発想と、
レシピを惜しみなく公開するという心意気。
(是非、直接お店を知っていただきたいので、ここにレシピは書きませんw)

梅が入手できるのは、5月中旬から6月下旬と限られているし、
駆け込みで今年も漬けようかなあと。



2013年6月15日土曜日

国産ガスライター


ライターはプリンスのドルフィンを使い続けていたのだけれど、
ここ数日、どうも調子が悪く、分解掃除をしても原因が分からないので、
メーカーに修理を頼むことにした。

百円ライターを使うのは嫌だなあと、暫定的な禁煙に入ると決めて、

部屋の片付けをしていると、サロメのライターが出てきた。
買った直後に、クローゼットの奥にしまったのを忘れていたのだ。
どうして放置していたのか理解に苦しむほど、改めて良い品だと感じるのは、
「暫定的な禁煙」が、思いの外、早く解除されることになったから…ではないと信じよう。

サロメもプリンスと同じく、国産のガスライターだ。
米国産のオイルライターが嫌いなわけではないけれど、
あのシンプルさを追求したプロダクトとは違う、ちょっとした遊び心が良い。
(サロメの創設者、瀬川國治郎氏は、玩具製品用の板金加工を請け負うプレス職人だった)

日本のプロダクトデザインをイマイチと感じる向きがあるけれど、

グッとくるデザインは、あるモノに夢中になった職人の遊び心と、
それを残そうというメーカーの思い、そして何よりそのプロダクトを使うユーザーが、
心意気を感じなければ、成り立つものではない。

「職人による手作り」を謳うサロメも、近年、部品の製造は中国に任せて、

組み立てを国内で行っているという話も聞く。
イマドキの発想ではないかもしれないけれど、せめてライターぐらいは、
グッとくるデザインを守り続けたい…という理由で、禁煙を棚上げしていこうと思う次第。



こちらはプリンスのドルフィン。工場から帰ってきたら、サロメと二丁使いか?



2013年6月7日金曜日

茶さじ



日本茶が、珈琲や紅茶のように比べると「難しい」と感じるのは、
煎れる人によって、味のバラつきが大きいからだと思う。

例えば、煎茶や玉露のどんなに良い茶葉を使っても、「さじ加減」で、
茶の良さを引きだすことが出来ないなんてことはザラにある。
逆にさほど質の良くない茶葉でも、上手に煎れたら美味しくなる、
ということでもあるのだけれど、なかなか試してみようなんて思われない。
その問題を引き起こしている原因のひとつとなっているのが、
茶さじなのかもしれない。

茶さじは、ティースプーンなどのように計量する役割を持っていない。

料理に使われるさじには、大匙・小匙・茶さじの三本セットなどがあり、
それぞれ、15ml、5ml、2.5mlとサイズが決められている。
一方、宇治茶を販売店は、計量せずにはいられない(煎れられない)消費者向けに、
一人当たりの分量をグラム数(例えば2gとか)で案内している。
茶葉は、より方によって体積が大きく変わるので、
分量はあくまで目方で決めなければならない…なんてことまでは、なかなか伝わらない。

「茶さじなんていらない、茶筒の外筒を使えば良い」というお茶屋さんもいる。
煎茶道では、茶合と呼ばれる器を使って、茶葉を壊さないようにするぐらだから、
スプーンのようにかきだすものは不要なのだ(茶筒に入れっぱなしにするものではない)。
茶さじはあくまで、茶葉を壊さず、急須に移すモノとしてある…というわけだ。

お茶の普及には、茶さじへの理解がポイントとなる気がするのだけれど、
どうも、その辺りをくわしく言及する人がいないような…

「この質の茶葉なら、急須にこれぐらいだろう」
と、結局のところ慣れていくことが求められるなら、
続けて使えるええ感じの茶さじを持つべきかと思いながらも、
ひとまずこの槌目の茶さじを使っているわけですが、さてどうなることやら。

2013年5月30日木曜日

おもかげ


おもかげ」は、とらやの小型羊羹。
現在のパートナーと出会った頃、彼女が良く食べていた。
お茶にまつわる短編をブログにまとめてみようということになり、
当時のことを思い出して、書いてみた。
設定の部分だけ少し変えているけれど、内容そのものは実話だ。

「おもかげ」
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彼女と初めて会ったのは会議室だった。

僕は東京から異動してきたばかりの編集者で、
京都の和菓子の特集記事の原稿を、
ライターである彼女に依頼したのだった。

彼女は、名刺交換もそこそこに、ファイルからリストを取り出し、
取材対象とする店舗と、その店の名物の菓子の説明を始めた。
京都に住むライターは、京都に関する取材を受けることが多いと言いながら、
彼女が候補に挙げた菓子は、事前に僕が雑誌やネットで調べていたものと違い、
あまりメディアで取り上げられることのないものばかりであった。

「京都の方って、普段からこういったお菓子を食べているんですか?」
「そんなことないですよ、大切なお客さんが来はった時ぐらいですかねえ」
「でも、企画についてお電話したのは昨日ですよ。よくこれだけのリストを」
「東京に住んではって、いつも東京タワーに登ってました?」
「いや、田舎から出てきたばあちゃんを連れていったぐらいですねえ」
「ね、そういうものでしょ?」

万事こんな調子で、彼女はその後の仕事でも、
京都に関する豊富な知識を披露する一方、
自身の普段の暮らしぶりについては語りたがらなかった。

プライベートを明かそうとしない彼女の部屋を訪れたのは、
ある雨の強い日の午後で、「たまたま近くで取材があったもので」と、
努めて偶然を装ったのだけれど、彼女にはすべてお見通しのようだった。

「どうぞ」と、さして慌てる様子もなく招き入れた後、
彼女は、床に広げられた資料を器用に飛び越えてパソコンに向かった。
「すみません、原稿の締め切り前なもんで…あ、お茶煎れたとこなんで、適当に飲んでください」
イメージしていた京都人の部屋とかけ離れた、必要なもの以外、何も置かれていない
真っ白な空間に戸惑いながら、台所に向かうと、丸く赤味を帯びた湯呑みがあった。
「…どうも」と言って一口啜り、その味にさらに戸惑う。

「もしかして、お抹茶でも飲んでると思いました?…それ、京番茶です」
忙しくキーボードを叩く音がしたが、モニターに向かう顔は明らかに笑っていた。
「よう関東の人は、煙草が入ってるとか言わはりますけど、京都のもんが普段飲むのはそれなんです」
何となく、「関東の人」という括りに引っかかって何も答えずにいると、
「食べかけですけど、そこにある羊羹も良かったらどうぞ」と、
茶の風味から逃れようとする僕に助け舟が出た。

小さな皿の上に、「おもかげ」と書かれた箱があった。
和菓子特集で取り上げようとしたら、「それはこの企画向きじゃないですね」と、
彼女がリストから外した店のものだった。
同じ皿に置かれたぺティナイフが妙に大きく見えた。
「おかまいなしですみません…このテキスト送ったら終わりますんで…」

忙しい最中に押しかけたのは、こちらの勝手だと、
不釣り合いに大きく、鋭いナイフで羊羹を切って口に頬張る。
黒砂糖の甘味が思いのほか強いなと思いながら振り向くと、彼女がすぐそばにいた。

「ああ、そらあかんわ!」
彼女はたしなめるように押しのけ、半分ほどになってしまった「おもかげ」を
ぺティナイフで慎重に削り、シートのようになった羊羹を舌の上に乗せてみせた。

「これぐらいじっくりと味わうのが京都人です…って、私だけかも知らんけど」
と、言って、彼女はぐびぐびと僕が残した京番茶を飲み干した。
「あ、すんません…お待たせしました。で、今日は何の用事でした?」

何をしにきたのだろう?上手い答えが浮かばなかったので、
ひとまず「おもかげ」を薄く薄く切ることに集中した。
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2013年5月24日金曜日

鼻に亀


ちょっとした目の手術を受けて、視力が変わってしまった(良くなった)。

今まで使っていたもののレンズを変えれば良いと思っていたのだけれど、
水晶体を人工のレンズに変えた結果、遠近のフォーカス合わせが不自由になり、
外出用と、近くを見る用に二本メガネを持たなければならなくなった。
まあ、端末のモニターを長時間見ることも多いしなというわけで、しぶしぶ一本新調した。

海外ブランドを嫌っているわけではないのだけれど、
こと、骨格や体型に関係するアイテムは、日本人のそれに合うものを作っている
国産メーカーを選んでしまう。今回、999.9を選んだのも、
以前同じ理由で選んで、特に不具合を感じた記憶がなかったからだ。

納品されてから気付いたのが、ノーズパッドの中にいる「亀」。
フォーナインズの創業者、三瓶(みかめ)哲男氏の名をもじったものらしい。
(昔かけていたモデルには付いていなかったような気がする)
こんなディテールにこだわるなんて、なかなかにくいなあ、なんて感じたあたりから、
掛け心地が良いように思えてくるのだから、いい加減なものである。

2013年5月18日土曜日

清水焼と常滑焼


玉露や煎茶を入れる、しぼりだし急須、宝瓶を求めて、
陶器屋をうろうろしていたのだけれど、なかなかこれというものに出会えなかった。
装飾が過ぎたり、価格が飛び抜けて高かったりと、半ばあきらめかけていたところ、
近所にある「蓬莱堂茶舗」という、宇治茶の専門店に、それはあった。
よくよく考えれば、お茶を旨く煎れようと思うのであれば、お茶屋を訪ねれば良いのだ。

…ご主人から受けたお茶と急須の説明を正しく理解するには、もう少し時間がかかりそうだが、
少なくとも分かったことは、こちらのお茶屋さんは、ちょっと稀だということだ。
すべてのお茶屋さんが、急須や茶碗について理想を追求しているわけではない。

「お茶の美味しい煎れ方」に、正解はないとされている。
茶葉の質や量、お湯の温度、出す時間、急須や器と可変要素が非常に多い、
そもそも味覚にもバラつきがあるのだから、「お好みで」となるのは仕方がない。
結局のところ、自分でやってみて、知るしかないのかもしれない。

となると、せめて、続けてお茶を愉しもうと思える道具が必要だと思うのだけれど、
さほどお茶屋さんは熱心ではないように感じる(あくまで印象だが)。
一方、器を作る陶芸家さんの方も、お茶のことばかり考えてるわけではない。
茶器専門でもない限り、下手に手を出せるものではないと感じている人も多いのだろう。

お茶屋さん、陶芸家さんのそれぞれが互いの知識を交換しながら、
「お茶の時間」を豊かにしようという試みが、もっと数多く行われたらと思うわけだが、
それは、また別の話として、ひとまず、今回購入した品に戻る。

左の白いものは清水焼で、右の茶色のは常滑焼のものだ。

一緒にご主人の話をうかがったパートナーは、
蓋をずらして、わずかな隙間から絞りだす常滑焼の方を好んだ。
ボクの方は常滑焼に魅力を感じながらも、貫入が入る清水焼にも惹かれた。
(茶碗は茶の水色がわかる白いものであるべきだし、そう考えると急須も白が良い)。

と、まあ、同じ話を聞いても、関心のポイントが違うのだから、
やはりどこまでいっても、茶は「お好み」のものなのかもしれない。

2013年4月19日金曜日

食玩


ハーレーダビッドソンウルトラクラシックエレクトラグライド…が好きなわけではなく、
コンビニ売りのドリンクなどに付いている、いわゆる「食玩」が好きだ。

特に昨今のものは、すっかり、おまけの域を越えているような気がする。

ターニングポイントは、公正取引委員会がサントリーに警告を出した2005年あたりか?
ペプシコーラに付属するガンダムSEEDのボトルキャップが、
「中身が見えないので、景品ではなく懸賞品に当たる」と認定を受け、
懸賞の上限価格を超えると指摘されて、サントリーは袋を透明なものに変えて、
懸賞品ではなく、あくまで景品であるという対応を取った。

以降、「見せること」を余儀なくされた飲料に付く食玩は、
偏りなく商品を売るために、どの「景品」も、高いクオリティが求められるようになり、
一気に技術が高まったのではないか。

今や、飲料の方がおまけのように感じてしまうのだけれど、
公取はこのような事態を予想していたかのだろうか?
それにしても、缶コーヒーって、もう少し美味くならないのか?

2013年4月14日日曜日

すがすがしい


以前、このブログで「天之真名井(あめのまない)」という、
何だか冗談みたいな御神水を毎週汲みに行っていることを書いた。

市比賣神社には、その後も幾度となく通っていたのだけれど、

手水舎にあるこの文字を「すがすがしい」と読むことを今日初めて知った。

「清」と「浄」を合わせた文字として、長瀞町や瀞峡といった地名に使われる

(とろ/どろ)」をいう字がある。瀞」という漢字自体、
「清らか、清浄、きれいな水」という意味があるのだけれど、
トロ、ドロという音のせいか、どうもそんな印象を持ちにくい。

手水舎に刻まれている文字と言えば、「洗心」が多いように思うが、

「心を洗え」と言われるよりも、「すがすがしい」と言われた方が、
何となく気分が良い気がする…というのは、あくまで個人的な感想である。

2013年4月11日木曜日

宝瓶の試作

とある清水焼の作家さんにお願いしていた
「宝瓶」の試作品が上がった。

「宝瓶(ほうひん)」は、玉露を入れるときに使用する急須の一種。
ごく簡単に言うと、「取っ手のない急須」である。
抽出温度の低い(60度前後)お茶を入れるためのものなので、その必要がないのだ。
「絞り」と呼ばれることがあるように、手の中に納めて「最後の一滴」まで出すことができる。

これが、なかなか手に入りにくい。
京都市内の某百貨店さんでは、店頭はおろか、
取り寄せカタログでも扱っていない。
日本茶も紅茶も入れられて、家族用にも来客用にも使える

ティーポットに押されて、小型で、取っ手のない「宝瓶」は、
「売れない商品」として姿を消してしまうのかもしれない。
…ということから、作家さんに話を持ちかけたという次第。

 

玉露の茶葉が開くのに十分な広さを持ちながら、
注ぐ時に茶葉が動き過ぎないような形状であること。
注ぎ口は、葉が詰まることもある茶漉し式ではなく、
茶がスムーズに流れながらも、葉が漏れにくい開放型にすること。
蓋や外周は手に収まりやすい形状にすること。

…などなど、理想とするポイントを上げたところ、
相当苦心されながら、作家さんが(現時点で)たどりついたのは、
サンプルとしてお渡ししていた、古い宝瓶に近い形状だった。


 

オリジナリティを加えるには、手ごわいアイテムだということが分かったのが、
今回の試作品と打合せの大きな成果だ。
それでもやはり、現物を手に取ると、様々な気付きや、
手を加えるべき点が出てくるのが面白い。


























急いては良いものを作ることはできないと分かっているけれど、
でも、急須だしなあ…いやいや。

2013年4月6日土曜日

「そやし」という言葉


住まいの裏を流れる高瀬川の桜も、今週末で見納めだろう。
四条通、あるいは五条通へと、普段は通り過ぎるだけの観光客が、
この時期ばかりは、カメラを構えて立ち止まるものだから、
ちょっとした誇らしさと同時に、気疲れを感じる季節である。
京都で過ごすようになって、15年ほどになる。
さすがに「よそさん」ではなくなったと思うのだけれど、どうだろう?

土地に馴染むということが、その土地の言葉に馴染むということなら、
ボクはまだまだ京都の人間であるとは言い切れない。
そう感じさせる言葉の代表格が、「そやし」である。

「そやし」は、「~だから」という意味を持つ京都弁だ。
(そうだから→そうやから→そうやし→そやし)
基本的には、理由を示す接続語として使われる。
ただ、東京出身のボクが、会話の中で
「そうだから」と言うところを「そやし」と言い換えたところで、
京都人が「そやし」を使う頻度には到底及ばない。

少々やっかいなのは、「そ」の部分だ。
「そやし、やめときますわ」などと、
何を指して「そ(う)やし」と言っているのか、
うやむやにされることが、しばしばある。
時には「…そやし…」と、全く意味を持たず、
間を置くように使われることすらある。
つまるところ、「そやし」を会話に使う時点で、
「どうか察してくださいね」と、言っているようなものなのだ。
ややもすると、察しの悪い人には、
居心地がよろしくなくなる雰囲気を醸す言葉かもしれない。

だが、それがいいと、あえて言おう。
何もかも意味をクリアにして話すことがあるだろうか。
何となくの空気を読みつつ、互いの間を詰めるのが、
コミュニケーション(意志疎通、相互理解)
というものではないだろうか。
…そんなことを思いながら、「そやし」という京都弁が醸す、
会話の特性を自分たちの仕事の信条にしようと、
企画・制作ユニットの名前を「Soyasii(そやし)」にしたのです。

そやし、改めてよろしくお願いいたします。

チームそやし・プランナー
三浦大治

2013年3月22日金曜日

玉露への興味

玉露に興味を持つきっかけとなったのは、
茶業組合が粗品として作ったと思われる、一枚の手ぬぐいです。

そこに書かれた夏目漱石の『草枕』の一節が、何とも味わい深い。

濃くあまく、湯加減ゆかげんに出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落してあじわって見るのは、

閑人適意かんじんてきい韻事いんじである。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。
舌頭ぜっとうへぽたりとせて、清いものが四方へ散れば咽喉のどくだるべき液はほとんどない。
ただ馥郁ふくいくたるにおいが食道から胃のなかへみ渡るのみである。歯を用いるはいやしい。
水はあまりに軽い。玉露ぎょくろに至ってはこまやかなる事、淡水たんすいきょうを脱して、
あごを疲らすほどのかたさを知らず。結構な飲料である。
眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。

胃弱と言われた漱石が、日本茶の中でも、とりわけ玉露を愛してやまなかったことは、
このシーンの描写から十分に伝わってきます。「眠らぬも、茶を用いよ」ですから。

一方、抹茶に関しては、作法に寄った茶道、茶人を皮肉っており、
ひたすら「味わうこと」に重きを置いていたことが分かります。

特に注目したいのは、
閑人適意の韻事(暇な人が気ままにする風流な事)」という表現です。

漱石が『草枕』を発表したのは、日露戦争の翌年、1906年。
西洋を追った近代化、戦争への道へと進む日本が、
東洋的な文化や思想を軽視する向きを憂いた作品です。
江戸時代の後期から、明治の初期にかけて生みだされ、磨かれた「玉露」は、
近世文人がリードした煎茶趣味の中で、確固たる地位を築いていました。
漱石が日本人に何らかのメッセージを伝えようと、
作品の中に「玉露」を持ち出したことは想像に難くありません。

「暇」と「風流」は、姿やかたちを変えて、
今日の日本にも存在していると思います。
かつては限られた人たちのものであった「茶」も、
ごく一般的なものとして生活に取りこまれているのだと思います。
しかし、個人的には、どうもしっくり来ません。
「閑人適意の韻事」としての「玉露」に興味を持つのは、
しっくりとくる何かに出会えるかもしれないという期待からです。
漱石のように、ことさら憂いていることがあるわけではありません。

「ただただ味わう」…まずはそこから始めてみたいと思います。

2013年3月10日日曜日

京都こだわりマルシェ

「食べるを知り、学び、考える一日」
というコンセプトを掲げ、京都府庁旧本館(国の重要文化財)で
定期開催されている「京都こだわりマルシェ」という食のイベントに
「山本園茶舗」のサポーターとして参加しました。
 
マルシェとは、フランス語で“市”のこと。
商品の売り買いだけでなく、
生産者・消費者・研究者・近所のお母さん・子供から大人まで、
あらゆる年代やジャンルの方が楽しみながら
「食」についてお互いが、知り・学び・考える一日にしたい
との思いからこの名をつけました。

そんな実行委員会の趣旨にのっとって企画したのが、
「茶香服(ちゃかぶき)体験」。
玉露、雁ヶ音、煎茶、京やなぎの四種類のお茶を
順に説明しながら、まず一度飲んでいただき、
次に同じ四種のお茶を順番を替えて、提供し、
どのお茶かを当てていただくという体験版。

挑戦していただいたのは、ミドルの御夫婦、
小学校低学年の御兄弟と、そのおばあさま、
部活で茶道部に所属しているという中学生女子などなど
様々な方に関心を持っていただくことができました。
どの方も、ちょっとしたゲーム感覚で試されたでしょうに、、
間違えたことを悔しそうにしながらお帰りになるのが印象的でした。

雨が降り、時折、強い風が吹いたりとあいにくの天候だったためか、
イベント来場者はいつもより少なかった模様。
でも、まあ初めての参画にしては上々の出来だったかと。
今後、出展することがあれば、また企画してみたいと思った次第です。

2013年3月7日木曜日

錫の茶入れ

茶師から錫の茶入れをいただいた。
表面こそ酸化変色して、いかにも古いもののように見えるが、
蓋も含めて内側は艶やかな錫の色のまま。
早速、別の茶筒に入れていたちょっとええ煎茶を移し替えた。

錫は耐蝕性に優れ、軟らかく加工もしやすかったことから、
世界各国で古くから食器に使われていたそうだが、
日本には原材料となるスズ石があまり産出されないこともあり、
錫単体の加工品は、奈良時代の後期、1191年に栄西禅師が、
茶とともに持ち帰った茶壷、茶托が、その始まりだと言われている。

煎茶道は、大陸の喫茶文化の流れをくんでいることもあって、
茶器の佇まいもどこかしら中国的。ルーツを感じさせるって良いものですなあ。

2013年2月2日土曜日

子供茶香服

宇治の茶業組合さん主催のイベント、「宇治茶フェスタ」に
息子とその友人、その兄の三人の小学生を連れて行った。
息子の友人の兄は、学校で茶道クラブに所属しており、
その弟も、来年から同じクラブに入るつもりと聞いていたので、
お抹茶のみならず、宇治茶に関心が高い二人を連れて行こうと思ったまでで、
本来、息子は「ついで」のつもりだった。

一通り、会場を見て回った後、目的の「子供茶香服大会」にエントリー。
5種のお茶を当てる利き茶ゲーム、「茶香服」は、
宇治茶の普及のために、茶業組合さんが力を入れている企画。
子供向けに大会を開くのは、とても意義深いことだと思う。
茶葉に触れ、その色を目にして、香りを嗅ぎ、
さらさらとした音を聞き、実際に入れた茶の味わう。
五感を使って遊ぶゲームがどれだけあるだろうか。
五感を使って口にするものを確かめる機会があるだろうか。

三人のうち、一番成績が良かったのは、一番やる気のなかった息子。
約80人の参加者のうち、優秀賞となる9位でした。

彼曰く、「いつもとーちゃんとお茶飲んでるから簡単だったとのこと」
…はい、ちょっとした親バカ日記ですわ。

茶摘み娘の「あかねだすき」


JR宇治駅前にある、茶摘み人形。
毎時間、0分ジャストになると、茶摘み娘さんが動き出し、
「茶摘み歌」のメロディが流れる。

地方によって若干、異なるものの、
初夏、新茶の光景を歌う「茶摘み歌」の歌詞は、この通り。

  1. 夏も近づく八十八夜
    野にも山にも若葉が茂る
    「あれに見えるは茶摘みぢやないか
    あかねだすきに菅(すげ)の笠」
  2. 日和(ひより)つづきの今日このごろを
    心のどかに摘みつつ歌ふ
    「摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
    摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ」

いかにも唱歌らしい二番の最後はさておき、
一番の「あかねだすき」。

全国のチャの生産地で見られる「茶摘み娘」の姿は、
大抵、同じカラーリング(な気がする)が、
「あかねだすき」は、歌詞になるほどのマストアイテム。

これは、「あかね」が昔から止血剤として知られていたことから、
指先を怪我しやすい茶摘みの時には欠かせなかったとのこと。
たすきの「あかね」をすり込みながら作業していたからだそうな。

機械の導入によって効率化が進められる近年、
茶摘み娘さんたちが、あかねをすり込む光景は
あまり見られないものとなったのだろうけれど、
それでも血と汗の結晶なのだなあと、ベタなことを思う次第。

ところで、この宇治市民は、この茶摘み娘さんを「ラッキーのシンボル」と称え、
この娘に会えたらよい事があるというサインにしているのだとか。
うーん、せめて15分おきに動かした方が、宇治茶のPRになると思うのだけれど、
それじゃありがたみが失せますか、そうですか。