2013年4月6日土曜日

「そやし」という言葉


住まいの裏を流れる高瀬川の桜も、今週末で見納めだろう。
四条通、あるいは五条通へと、普段は通り過ぎるだけの観光客が、
この時期ばかりは、カメラを構えて立ち止まるものだから、
ちょっとした誇らしさと同時に、気疲れを感じる季節である。
京都で過ごすようになって、15年ほどになる。
さすがに「よそさん」ではなくなったと思うのだけれど、どうだろう?

土地に馴染むということが、その土地の言葉に馴染むということなら、
ボクはまだまだ京都の人間であるとは言い切れない。
そう感じさせる言葉の代表格が、「そやし」である。

「そやし」は、「~だから」という意味を持つ京都弁だ。
(そうだから→そうやから→そうやし→そやし)
基本的には、理由を示す接続語として使われる。
ただ、東京出身のボクが、会話の中で
「そうだから」と言うところを「そやし」と言い換えたところで、
京都人が「そやし」を使う頻度には到底及ばない。

少々やっかいなのは、「そ」の部分だ。
「そやし、やめときますわ」などと、
何を指して「そ(う)やし」と言っているのか、
うやむやにされることが、しばしばある。
時には「…そやし…」と、全く意味を持たず、
間を置くように使われることすらある。
つまるところ、「そやし」を会話に使う時点で、
「どうか察してくださいね」と、言っているようなものなのだ。
ややもすると、察しの悪い人には、
居心地がよろしくなくなる雰囲気を醸す言葉かもしれない。

だが、それがいいと、あえて言おう。
何もかも意味をクリアにして話すことがあるだろうか。
何となくの空気を読みつつ、互いの間を詰めるのが、
コミュニケーション(意志疎通、相互理解)
というものではないだろうか。
…そんなことを思いながら、「そやし」という京都弁が醸す、
会話の特性を自分たちの仕事の信条にしようと、
企画・制作ユニットの名前を「Soyasii(そやし)」にしたのです。

そやし、改めてよろしくお願いいたします。

チームそやし・プランナー
三浦大治

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