2012年12月24日月曜日

足元を見る



「エヴァシリーズ完成していたの?」
と、茶化すことなく「SOU・SOU」さんの取り組みに感心する。


伝統を語る老舗や職人さんの中には、
「こうでなければならない」「こういうことはしてはならない」と、
どこか自分を縛る考え方をお持ちな方が多いように感じる。
新しいことに取り組むと言っても、
単発で、受け止める人がいないことをやっても仕方がない。
持っている商品や技術を、今の人に届けることが大切だと思うなら、
「ガラスケース」の中にしまっておくのでなく、どんどん外に出すべきだ。

「足元を見る」という言葉は、
街道筋や宿場で駕籠かきや馬方が旅人の足もとを見て疲れ具合を見抜き、
疲れた客の弱みにつけ込んで高い駕籠代を要求したことが語源となって
「人の弱みに付け込む」という良くないイメージに転じてしまったけれど、
相手が求めることと、自分が提供できることをはかりにかけて、
値を付けること自体は、恥ずべき行為なのではない。

むしろ「はかりかねている」ということが恥ずかしいことだと思う。
自分が立っている場所、それこそ足元を見ることが大切ではないかと。

そんな風に感じたのは、店頭から離れて、ちょっと落ち着いた頃ですけどね。
エヴァシリーズ、完成したのかあ、欲しいなあ。
SOU・SOUさん、足元見てるなあ。

2012年12月23日日曜日

天之真名井

「天之真名井」と書いて、「あめのまない」と読む。
「雨、飲まない」と言っているようで、何だかおかしな感じになるが、
ウチの近所にある、女人厄除祈祷の社「市比賣神社」の御神水。
週に一回、ポリタンクで汲ませていただいている。

ホームページの説明によると、

落陽の七名水の一つに数えられ、
当社神宝天目椀「天之八塩(あめのやしお)」で汲み出された
「若水(わかみず)」を、歴代天皇の産湯に用いられたという伝承が残る。
現在も名水として茶会、花展・書展等に用いられる。
また、絵馬を掛け、「天之真名井」のご神水を飲んで手を合わせると、
心よりの願い事が一つだけ叶うと伝えられる。

とのこと。確かに茶会で使われるだけあって、くせがなく軟らかい(気がする)。
少なくとも、水道水を飲む気にはなくなる。

と、ここで少しだけお茶の話。
日本茶を美味しく入れるのに適しているのは、「微酸性の軟水」と言われている。
酸性が強過ぎると、酸っぱくなり、水色(すいしょく)は薄くなる。
硬度が高過ぎると、お茶の成分、カテキンやカフェインと反応して味が淡白になり、
香りも減少して、濁った水色となってしまう。

日本の水は、ほぼ「微酸性の軟水」。
水道水には塩素が含まれているので沸騰させなければならないが、
何のことはない、自分の国のお茶を入れるのに適しているのは、自分の国の水なのだ。
そんなわけで、宇治茶を飲むことの多い我が家には、地元の水が欠かせない。
あめのまない、のまないわけにはいかないのである。

2012年11月20日火曜日

抹茶パッケージ



宇治茶が、もっと日々を潤す存在になるようにと、
お手伝いをさせていただいている「山本園茶舗」さんの抹茶専用パッケージ。

抹茶の粉末は、原料である「てん茶」を粉砕した粒子。
その細かさは、1020μm(マイクロメートル=0.001mm)ほど。
人間の舌がざらつきを感じるのは、

粉末の粒径が30μm以上の時と言われているから、
抹茶の粉末は、舌にざらつきを感じさせず、
それでいてまろやかさを感じさせるのに丁度良いパウダーなのです。

…なんてことを知ってしまった以上、
そのパウダー状態を保つために、ふんわりとくるむ形状でなければならない。
キャラメル式のような箱だと、入れる時に底に当たって少なからず圧がかかる。
包装紙のように上下を固定することなく、手早く包めるようなのが良い…などなど、
試作を繰り返してベースの形状を決めました。

今日は採用する紙を選びました。
抹茶を守るためのパッケージであって、
発送に耐える弾性が必要ということで、「マイクロフルート」と呼ばれる
超極薄のダンボール素材を使用。(0.50.6mmという薄さながら、しっかりと二層構造)

当初は、右下の「白無地」でいく予定だったのですが、
できるだけ自然素材の色味にという思いから、
「茶色」「緑色」の2案を加えた最終3案で検討。

左下の「茶色」は、ヤシの繊維を使ったもので、
ちょっと珈琲のパッケージを思わせる面白さを感じたのですが、
選ばれたのは中央、笹の葉の繊維を使った新素材を使った「緑色」。
(途中、茶殻の再生素材を使うという案も上がったのですが、
香りがついた特殊紙ということで却下)
お客様のご意見、反応が楽しみです。

2012年11月8日木曜日

おあつらえ

ある京友禅師の作業場にお邪魔した。

「おあつらえ向き」は、英語で「well suited」と訳される。
なんてことを職人さんに伝えたところ、
ふふっと、微妙な笑みを浮かべられた。

「あつらえる」とは、
自分の思いどおりに作らせる。注文して作らせる」という意味の通り、
あくまで依頼する側が主体だ。

「あつらえ」は、「誂え」と書く。
「言」+「兆」(二つに分ける)という文字の通り、
挑発するという意味をどこかで含んでいるとも言える。

依頼者の「言」に、「手」で応えるのが職人。
言うなれば、「挑」なのかもしれない。
そら、しんどいやろうなあ。
それだけに、うまくいったらうれしいやろうなあ。

2012年11月1日木曜日

千鳥が住む場所

加茂川や清き流れに千鳥すむ」という
古歌にちなんで名付けられたという「千鳥酢」。

ワインがヴィネガーになるように、
米酢は清酒から造られ、食酢が盛んに作られるようになった
江戸時代には、「酒どころ」は「米酢どころ」だったとか。

江戸の頃、酒どころの伏見にほど近い鴨川のほとりには、
酢作りをする業者が軒を連ねていたが、
その頃の酢は、鴨川で友禅流しをする色止め用に使われていたとか。
「千鳥酢」の村山造酢も、そういった造酢業者のひとつだった。

現社長のインタビューで印象的だったのは、
「土地の食材との相性が良いのは、その土地で作られた調味料」という話。

確かに食というものはそういうものなのだろうなと。
かつて海外に輸出していた時のラベルを見ながら思う。
千鳥は加茂川の清き流れに住むものなのだ。
無理に海を渡らせるものではないのかもしれない。

2012年10月26日金曜日

機能と遊び

某工房の「灰皿」の試作品。

実に面白いと思うも、スモーカー目線で改良すべき点を述べる。
でも、言えば言うほど、造形の面白さが無くなっていくような気がして迷う。
機能と遊びの間にある着地点を探りたい…のだけれど、
作家さん、モチベーションを持続してくれるかしら。

2012年10月25日木曜日

そばは「宝」


応仁の乱の前年、1465年に創業したという
和菓子、蕎麦の老舗、「本家尾張屋」本店。
のれんにある「御用蕎麦司(ごようそばつかさ)」の文字は、
江戸時代、宮内庁御用達の蕎麦職人であったを示すもの。

とある媒体の取材中、ふと気になったのは、
中央の「寶(たから)」の一文字。

インタビュー後、ご当主にうかがうと、
室町の頃、金銀細工師が作業後、散らばった金粉銀粉を集めるために
そば粉の団子を使ったことから、いつの間にかそばが
「金を集める縁起物」とされるようになり、「宝」を屋号と定めたのだとか。
なるほど、縁起をかつぐ年越しそばの由来の一説にも同じことが挙げられている。

元は「そば団子」を作る和菓子職人だった尾張屋さんは、
茶文化を広げることとなった禅寺に出入りするうちに、
腹もちの良いものを所望されるようになり「そば打ち」を始めたのだとか。
粉をふるい、生地を伸ばし、均等に切り分けるといった技と道具を
そのまま、そば作りに活かすことができたのだ。

京都が職人と寺の町であることを改めて知った一日であった。

2012年10月21日日曜日

北野大闘茶会

北野天満宮で開かれた「第四回 北野大闘茶会」に参加した。


チラシには、「闘茶とは、5種類の茶を当てる…上品な遊び」と書かれているが
元々は、栄西禅師から明恵上人に受け継がれた京都栂尾一帯の茶、
「本茶」と、それ以外の「非茶」を飲み分けるもので、産地のプライドをかけた
文字通りの「闘茶」だったとか。やがて、「かぶく(遊ぶ)」という風俗が、
歌舞伎芝居の名を生み、「茶歌舞伎(ちゃかぶき)」と呼ばれるようになり、
現在では、「茶香服」という文字が当てられる「5種類のお茶を当てる娯楽遊戯」と
して変化していったと言われている。


北野天満宮は、かつて太閤・秀吉が「北野大茶会(きたのだいさのえ)」を
開いた場所でもあり、主祭神である菅原道真公も、太宰府の地で
茶を飲みながら流罪の身に憤懣やるかたない日々を過ごしている歌を詠むなど、
京都で茶のイベントを開くには申し分ない場所ということで、
京都市茶業組合さんがこの地を選んだとのこと。

さて、その「闘茶」、「茶香服」で当てるのは、緑茶の種類である。
その流れは、以下の通り。

① 「花」「鳥」「風」「月」「客」と書かれた5種類の茶の葉を確かめる
(実際に浸出した茶は飲めない。ただ、見て、触って、嗅ぐだけ)
② 1回目は、順不同に出される「花」「鳥」「風」「月」「客」の5煎の茶を飲み、これと思う札を出す。
  (途中で差し替えることはできない)
③ 2回目以降は、同じく順番を変えて出される4煎の茶を当てる。
  (4煎まで予想することは、出てきていないもう1煎を当てることになるので)
④ 全部で4回、都合17杯のお茶を飲み、(出てこない3煎を含む)全20煎の正答率を競う。

参加者は、茶業に携わる言わばプロから、観光を兼ねて遠方より来られた方、
さらには「茶香服」の存在を知り、はるばる中国からやってきた中学生まで
バラエティに富んだ約100名。会場となった絵馬所は、茶を入れる音と、茶をすする音、
そして、時折、回答に悩んだ参加者のうめき声が聞こえる程度の静けさ。



ボクの成績は、

1回目 1/5 (玉露しか分からなかった)
2回目 3/5 (煎茶と柳を間違えた)
3回目 3/5 (玉露と煎茶を間違えた)
4回目 0/5 (全滅…玉露と柳を間違えた)

始めはわけがわからず、終わりは味がわからずで、
合計、「5/20」という散々な結果。
うーん、悔しい。でも、なるほど遊びとして流行したのも納得。

かつては、緑茶の違いが分かる人々のものだったわけだが、
「玉露」「煎茶」「柳」といった緑茶の種類すら知らない人にとっても
興味深いゲームになるだろうなと、初めての体験を今後につなげようと思った次第。
いや、それにしても悔しい。

2012年7月24日火曜日

足し算と引き算


パッケージの打合せ。

「粉末をくるむような構造で、柔らかいラインのもの」という
クライアントからのオーダーに沿うように、
開封する受け手はもちろん、梱包、発送する送り手のことを考えながら、
紙工業者さんとベースのデザインの試作を繰り返す。

もちろん印刷デザインのことも視野に入れるわけで、
どのように持ちかえられ、どのように中身の商品が目に飛び込むと良いか
なんてことを、ひたすら試作品をいじりながら考える。

時間をかければ良いものができる、などとは思わない。
考え過ぎて、「感じて欲しいこと」がバラついてしまっては意味がない。
次第に増えていくメッセージをある段階で整理して、
ある段階で、思い切って引いていかなければ、
受け取る人が「読みとろう」と思える何かを生み出すことができない。

肝心のは、送り手が「引き算」をし、受け手が「足し算」を行うコミュニケーションだ。
「感じさせる」のではなく、「感じられる」を目指さなければ、永く愛してもらえない。

「時間をかけて考えたんだろうなあ」と思われない、サラリとしたデザイン。

そんなものにしたいなあと思いながら、時間をかけてしまっている。
まあ、ここがこの仕事の面白いところなので、
「そやし…」という言葉を重ねながら、少しずつ「サラリ」に向かっている。

2012年7月20日金曜日

そのままで伝わる仕事


裏寺町通り付近、新京極通四条上ル中之町にある
喫茶点「回廊」は、繁華街の近くありながら静かな店で、
アポの合間の休憩や、ちょっとした打合せに何かと都合が良い。

きちんとネクタイを締めたマスターが、

オーダーを受けてから淹れてくれるストレート珈琲もさることながら、
人にお伝えしたくなるのが、このデザートセット。
「シ、シンプルですね…でも、食べやすさって、
こういうことですよね」というコメント聞きたさに、
初めてお会いする方との打ち合わせでは、必ず頼む。

何も考えずに並べたようで、向かい合わせに座る二人が
食べやすいように配置されたフルーツ。
ラム酒とブランデーに漬け込んだナッツ・フルーツを
たっぷり入れて焼き上げた自家製パウンドケーキは、、
果実の果てにちょうど良い風味と、マスターの緻密な計算が伺える。

見た目は華やかでも、食べにくい盛りつけのデザートプレートとは、
明らかに一線を画している(って、考え過ぎなのかもしれないけれど)
「つまり、こういうコンセプトですよね?」と、
聞くこと自体がヤボだなあと思わせるシンプルさ。

マスターに確認することは、この先もないだろう。
このテのことは、勝手に感じるものだろうし、
仮に聞いたとしても、その通りだとは言ってくれないだろう。

説明を必要とするのではなく、そのままで伝わる仕事をしたいものだ。
ということで、カウンターの向こうで黙々と珈琲を淹れる彼に
今日も密かな憧れのまなざしを送るのであった。


2012年7月14日土曜日

線香花火



線香花火は、日本の伝統的な花火の一種。
その名の由来は、香炉に線香のように立てて遊んだからというけれど、
こより状のものが立てられるわけがないなあと、少し調べてみた。

線香花火が現在のような形になったのは、
西で生まれた線香花火が、東に伝わってからだとか。

線香花火の原形は、竹ひごや藁でできた柄の先に火薬を付着させた
「スボ手」と言われるもので、主に西日本、関西地方を中心に親しまれていた。
それが伝わり始めた東日本、江戸では、藁などの材料が不足していたこともあって
和紙で火薬を包む「長手」が作られるようになった。

「スボ手」よりも燃焼時間が長く、ゆらゆらと揺れる風情もあってか、
「線香花火」と言えば、「長手」を指すのが一般的になったが、
西日本ではいまだに「スボ手」をイメージする人もいるそうな。

いずれにしても、現在の線香花火は、ほぼ中国産。
昭和50年以降、安価な商品が輸入されるようになって、
国内で線香花火を作る専門業者は、廃業することになった。
(線香花火は、免許の要らない「玩具花火」に分類されるので、
参入障壁が低かったんだろうなあ)

唯一と言われる業者は、北九州の「線香花火筒井時正」さん。
その伝統の火を絶やすまいと、素材と技術にこだわっている。
京都の「總屋」さんも、オンラインショップで国産線香花火を取り扱っているが、
おそらくこちらと一緒に取り組まれているものではないか。

2012年7月10日火曜日

非日常と日常


祇園祭の「鉾建て」で、各鉾町が賑わっている。
室町通に掲げられたこの画が、妙に馴染んで映ることからも、
いまが非日常的な時期だと分かる。

それにしても、木村英輝さんのイラストは力強く、分かりやすい。
ロック黎明期を駆け抜けた男 Ki-Yanを知らなくも、伝わるという意味で)

好き嫌いはあるのかもしれないけれど、そもそも京都の伝統というものは、
日常からはみだしそうな違和を取り込みながら、育まれてきたものだろうから、
「こうでなければならない」という制約からは自由なはずだ。

「伝統や文化が日常に息づく」というのは、ちょっと無理のある表現で、
非日常と日常の振幅を繰り返すこと、ハレとケがしっかりとあることが、
伝統と文化の豊かさを示すものだろうから、息づかいはもっと荒くていいのかも。
なんてことを思う、コンチキチンなシーズンである。

2012年6月13日水曜日

金魚鉢



金魚鉢は、夏の暑さをしのぐための知恵のひとつだ。

ひらひらと泳ぐ様を眺められるガラスものもいいけれど、
興味があるのは、睡蓮鉢のような大ぶりの陶器。
店先や玄関先といった視線が下がる場所に置かれたものは、
なかなか趣深い…第一、金魚が気持ち良く泳げる広さがある。

せっかく五条坂の近所に住んでいるのだからと、
清水焼で丁度良いものがないか探し歩くも、まあ、出会えない。
食器や花器ならいざ知らず、手頃な値段のものは、まずない。
だからと言って、値の張る作家の一点ものを買い求めるほど
腹をくくれていているわけでもない。

別の産地の陶器を取り寄せた方が早いのだろうが、
金魚鉢があろうとなかろうと、京都の暑さに変わりはないだろうから。
いつか良い出会いがあった時の、涼やかな気分を楽しみにする。

2012年6月10日日曜日

花の名前

義父はガーデニングが好きで、彼の家を訪ねると、
ベランダや窓際、台所に居間と、そこかしこで育つ花を指して、
「ええやろ?」と感想を求めてくる。

ええも悪いも、その名前すら知らないものがほとんどなので、
「うーん、いいですね」と、適当な相槌を打つしかない。

別に義父が特殊な花を育てているわけではなく、
単にボクが花の名前を知らな過ぎるだけなのだ。
あんまりなので、少しずつ覚えるようと思う、今日この頃である。
花をきっかけに始まる会話もあるだろうし、
何より季節がめぐるのを楽しみにできるだろうから。

ちなみにこれは、ホンコンエンシスの「月光」。
開花時期は…もうすぐである。

2012年6月2日土曜日

水出し

近所の喫茶店に置かれている
オージ・オリジナル・ウォータードリッパー」。

ホームページの説明によると、

一滴ずつ珈琲豆に水を浸透させる透過式を採用しておりますので、
浸漬式に比べ豆の持つ雑味やタンニンを取り除き、
他のコーヒー器具では味わえないソフトでクリアーな味わいを楽しんで頂けます。

とのこと。

インテリアとしても見映えがするし、
何より、メイド・イン・ジャパンにこだわって、
ガラス、木工、金属加工の各メーカーの協力を仰いで作った
という物語がいい。

「水出し煎茶」の専用器具…どうにか作れないものか、
できれば京都の職人さんたちと
と、珈琲を飲みながら夢想してしまうのである。
いや、やりたいな。やろう。

2012年5月5日土曜日

法語


世界大百科事典によると、


正しい法を説く言葉の意で、祖師、高僧などが仏の教えを簡潔に表現した詩文のことである。
唐宋間に仏家が韻語をもって演説したことに始まるので、
おおむね詩を含む韻文であるが、のちに散文の法語,また日本では仮名文の法語も行われた。
茶道と墨跡との関連により、今日、特に喧伝されるのは禅宗における法語である。
禅宗は本来、〈以心伝心,不立文字〉を建て前とする宗派であるが、
宋代以後、禅僧が士大夫社会と交渉をもち文人趣味を取り入れ、
詩文や書画によって悟りの境地を表現する風が高まると、
多くの高僧たちがさまざまな形式の法語を説き示すにいたった。

ということなので、お寺さんの前の掲示版に貼られている
これも「法語」と言って良いのだろうが、
明らかにこちらの住職は、ハイセイコー時代からの競馬マニアか、
寺山修司の熱烈なファン…どんな方なのだろう?一度のぞいてみようか。

2012年5月2日水曜日

傘の骨

「通常の三倍」という、どこかで聞いたようなフレーズに惹かれて、
千円均一ショップで買った「24本骨傘」。
正直、通常の傘が8本の骨で出来ているということを
意識したことがなかったのだけれど、確かになかなか丈夫だ。

皇室御用達とある「前原光榮商店」さんは「傘を着こなす」と言い、
六本木ヒルズに店を持つ「HANWAY」さんは、「人を護り、人を絵にする」と言う。

確かに、普及品はコストとウェイトのバランスで、「骨は8本」というところに
落ち着いたのだろうけれど、「骨」から始まる選択に幅があっても良いかと。
どの傘で出かけようか?なんて考えることがあれば、
雨の日はもっと愉しくなるだろうなあと思いつつ、そんな品は値が張るよね、と。
需要と供給のバランスに引き戻される。