2015年1月30日金曜日
猫と暮らす。
「イヌ派か、ネコ派か」という、良くある、それでいてなぜその二択か分からない問いに、
はっきりとネコ派だと答えるようになったのが、いつだったかは思い出せない。
幼少期のちょっとしたトラウマから、イヌ派ではないことは意識していたが、
「いつか猫と一緒に暮らせたらいいな」と、思い続けていた理由も分からない。
永年、猫と暮らすイメージを抱きつつも、
猫を飼う、あるいは買うことを積極的に検討したこともなかった。
何となく「それ」は、ちょっとした縁から始まることのような気がしていたし、
猫の方から、するりとやって来る日が訪れるのだと思い込んでいた。
「彼」と初めて出会ったのは、彼が生まれて半年ほどの頃だった。
義弟の新築の家で、全力で走り回っていた「彼」はとにかく無邪気だった。
(考えてみると、それまで家の中で目にしたことのある猫はすべて大人しかった)
「彼」が二歳になると、その家に「家庭」が築かれた。
生後間もなく里子に出された「彼」を引き取った義弟は、
「彼」と離れて暮らすことに積極的ではなかったようだが、
生まれたばかりの子供の世話に追われるパートナーと話し合い、
我が家を「彼」の新たな棲みかの候補に選んだ。
「とりあえず一週間程度、様子を見て」と言った義弟は、
どこかで断られることを期待しているようにも思えたが、
当時、ペットを飼いたい気分が高まっていた我が家の二人の小学生は
それを察することもなく、「彼」を歓迎した。
果たして、「彼」は我が家にやってきた。
サッカーのW杯ブラジル大会が開催される直前だった。
家族に目にどう映ったかは分からないが、
「ちょっとした縁から始まる」ことを期待していたことを、
努めて表には出さないようにしたつもりだった。
「新しい縁」となるには、少しばかり時間がかかると思っていたし、
場合によっては、縁というものを感じる前に、
するりとなくなってしまうものかもしれないと感じていたからだ。
…と、「彼」がやってくる前のこと、「彼」がやってきた去年の夏の気分を
振り返ると、驚くほど慎重で、どこか「隔たり」を感じたりするほどに、「彼」こと、
「はびえる」(アルゼンチン代表MFの名前から付けたが、その名では呼ばない)は、
ずっと以前から、ここを棲みかにしていたかのように、のびのびと暮らしている。
猫が腹を見せる行為は、信頼の証と言われているが、どうもそうは思えない。
もっと何か違う意味を帯びているのではないか。
何を示しているのか理解するには、もう少し時間が必要な気がしている。
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